いちのみやんロゴ
いちのみやん一宮ウォーキング

牛野神明社から油田遺跡

コース案内

神明社の鳥居の前からまっすぐ進む道が、多分旧岐阜街道だと思うのですが、その先のT字路で道は途切れてしまいます。周辺は自動車屋さんなどで、歩いてもあまり面白くない道なので、ここは旧街道からそれて、鳥居の前の道をすぐ左へ曲がります。

このあたりはその名も牛野宮前という地区です。1300年代の妙興寺文書に書かれている、牛野神明社前の市はこの辺りで開かれたのでしょうか。

細い道を進んで最初の角で右、南の方に曲がります。この辺りは区画整理が行われなかったのか、非常に狭い昔の道が入り組んでいます。

左の写真は10月に訪れた時に撮影したものです。今は駐車場になっているその先には土蔵のある家が見えます。左側には彼岸花が咲いています。かつては田畑の間に農家が点在する場所だったでしょうから、その名残でしょうか。

しばらく進むと道善寺という小さなお寺の横に出ます。この辺りには他にも寺がありますが、いずれも敷地は狭く、こじんまりしています。

道善寺から道をまっすぐ進み牛野通に出るのですが、寄り道をする場合、道善寺の角を左に曲がり、東に進むと牛野公民館の横に出ます。その辺りには小さな社や地蔵堂もあり、やはり、かつては田畑の中だったことをうかがわせます。そしてその先には「うな幸」という知る人ぞ知るウナギの名店があります。

さて、細い道をたどって牛野通に出たら右折します。十六銀行の前を通って牛野交差点の角に立つと、交差点の対角線側、書店カルコスのある側に、斜めに細く南へ向かう道が見えます。入り口付近に小さなお社がありますからすぐわかります。これが神明社と牛野交差点の間で途切れている岐阜街道の続きですから、交差点を渡り、この細い道に入ります。

小さなお社は名前は大きく、大神神社といいます。一宮市内には延喜式にも登場する大神神社が存在しますから、そこと関係があるのかもしれませんがわかりません。よくみるとお社の横には何かの歌碑のようなものもありますが、読めませんでした。

大神神社のアップですが、かわいそうに脇にゴミ出し場が作られてしまっており、足を停める人もいません。

大神神社の前を通り、宅地と畑地が混じった道を歩いていくと、向かって左側(東側)に神社があります。この神社は浅間神社という名前です。写真は南側から振り返って撮影したもので、左側が歩いてきた旧岐阜街道です。

浅間神社というのは、一般的には富士山信仰と関わりのある神社とされています。ここにある浅間神社もその一つかな、と思いましたが、一宮市史には「真清田神社から歩いて千歩のところにあるのが由来」と書いてあるそうです。でも真清田神社からは直線距離でも2キロ以上離れており、千歩というのはちょっと無理があります。そこで検索して調べてみました。

そうすると、『真清探當證(真清探当証)』という写本しか残らない歴史の書が存在し、そこには真清田神社の庇護を受けた皇子が、468年に真清田神社から千間南に御殿を建てた、と記されているそうです。ちなみに『真清探當證』という書は記紀とは随分異なる記述があるので贋作だとされることが多く、歴史学者からは完全に無視されているようです。でも一宮辺りの地名の由来をきれいに解き明かしているようで面白いです。

浅間神社の近くには千間堂という地名もありますから、本当に御殿があったかどうかはともかく、千歩ではなく、千間のほうがそれらしいですね。事実はわかりませんけど。

浅間神社を過ぎてしばらく歩くと、交通量の多い道路に突き当たります(下の写真)。この道は旧国道の多加木北交差点から妙興寺方面に向かう道です。

旧岐阜街道はまっすぐ進みますが、直進してもこの先は大江川で道は行き止まりになっています。さして見るものもありませんので左折して、多加木北交差点へ出ます。

大江川を渡って交差点の両脇に、妙興寺への道を示す道標があります。内一本には宝暦十二年(1762年)と書かれているそうです。

 

県道は昭和になってできた道ですから、こんな場所に江戸時代の道標が立っているのは変です。多分かつては少し西、先ほど曲がってきた岐阜街道との角にでもあったものなのでしょう。

交通量の多い県道沿いに歩いても面白くないので、多加木北交差点のすぐ南側の階段を下り、大江川沿いの道に入ります。この道を名神高速道路に向かって歩きます。大江川に時折サギやカモなどの水鳥がいます。

名神高速道路の手前の分岐では川沿いに行かず、道をまっすぐ歩いてください。川沿いの道から名神高速道路の下を潜る通路はありません。

名神高速道路を潜って南側に出たら、すぐに右折します。そのすぐ先の左側が油田公園です。油田の地名の由来にもいくつかあります。この土地の年貢を妙興寺の灯明用油にしていた、というのが定説のようですが、『真清探當證』には別の話が書かれているそうです。以下に面白いブログから引用します。

『真清探當證』によれば、「仁賢天皇が紀元498年崩御。この時、遺言に基づき妙興寺字油田に同年9つき1日に、埋棺したといい、〔青桃丘松降御陵墓の名称今なお存せり〕と記されている」この御陵へ皇后春日媛が毎日献灯したため、〔のち御料地を油田と名称せり〕とも書かれているとの事です。

さてここに青桃丘松降御陵と書かれているのが、油田遺跡だそうです。ちなみにこの塚は、発掘されていないそうです。

油田遺跡

一般的には、真清田大神が降臨したと伝えられる場所です。真清田大神が降臨する、というのはよく意味がわかりませんし、真清田ゆかりの地であるのに鳥居や社もないのも不思議ですが、どうやら真清田神社の側には、この地を降臨の場所とする云われは伝わっていないのだそうです。

一宮市博物館の館長さんにお会いする機会があったので「油田遺跡の塚は何ですか?」と聞いたら、「たぶん古墳だと思います。」とのことでした。

油田遺跡から赤池を経て多加木公園へ

コースの地図

Google Map を利用しておりますので参考にお使いください。



大きな地図で見る(印刷する場合はこちらをご利用ください)

Sponsored Link