いちのみやん一宮ウォーキング

子生和橋から子生和を経て島橋

コース案内

子生和橋の石碑を見たら、道路を西側へ渡り、緩くカーブを描く大江川沿いに歩きます。川の向こう側には一宮市の総合卸売市場が見えています。

子生和という地名の云われは、牛野神明社で紹介している照手姫がこの地で出産したことによる、というものが一般に知られていますが、かなり怪しいです。むしろ浄瑠璃などで照手姫の話が良く知られるようになって以降、鎌倉街道が通っていたこともあり、子生和という地名にあてて話を作った可能性が高いです。

もう一つの話は『真清探當證』によるもので、5世紀に男大跡王(オオドオウ。後の継体天皇)がこの地に生まれたので、子生和と名づけられたとあります。ちなみにこの場所が選ばれたのは、周囲が開けて見晴らしの良い場所であったから、とのことですが、これは現在でも変わらないようです。

右側が大江川、畑の向こうに見える樹林と黒い屋根は慈眼寺です。

ここは妙興寺の塔頭の一つだそうで、愛知県指定文化財の木造阿弥陀如来坐像があるそうです。ただし、通常は公開されていません。

慈眼寺の入り口は東側にあります。そこで墓場を目指して大江川沿いの道から左に折れ、門の方に回り込みました。

門が閉じているので、寺の中を見ようと門に近づいたら、センサーが作動してブザーが鳴ってしまいました。写真がセンサーつきの門。白い看板には「文化財を大切にしよう」と書いてあります。

これは慈眼寺を通り過ぎて振り返ったところ。境内にも周辺にも墓地が多いですが、現在墓地を分譲中だそうです。

この辺りの地名は子生和子安賀ですが、『真清探當證』によると、男大跡王の産殿を設けた場所だとされています。

慈眼寺を後に、次の右を右折、稲沢ケアセンターそよ風という、デイケアセンターの前を通り、次の角を左折し、細い道に入ります。すぐに川曲神社の横に出ます。川曲と書いてかはわと読むようです。延喜式式内社ですから、相当に由緒ある神社のはず。

大きな神馬の像がひときわ目を引きます。神馬の由緒はわかりません。写真のもの以外にもう一つ像がありますから、馬と深い関係があるのでしょうか。

式内社だけあって、小さな集落の割にはやはり立派なお社です。

なぜか岐阜県根尾産の菊花石が奉納されているのですが、これは祀られている菊理比売命(くくりひめのみこと) の菊にちなんだのか、それとも子生和で生まれた男大跡王がその後、根尾に隠れ住んだと伝えられているためでしょうか。

川曲神社を後に、神社の横の道をそのままたどります。集落の中を通る、細い道ですが、古い農家の面影が残っていたりして、風情があります。

この道を抜け、少し広い道路とのT字路に出たら、右(西)に折れます。すぐ先に川曲神社の鳥居がありますが、参道の長さには驚きます。ずっと奥のほうに見えているのが社殿です。

鳥居の前の道を西へと進みます。のどかな農村風景の中をまっすぐ進み、大江川に突き当たったら、川沿いに左折します。角にあるのが大日寺。住居を兼ねたような小さなお寺です。

このあたりは島と呼ばれる地区です。名鉄本線に島氏永という普通列車が停まる駅がありますが、その島です。氏永は後ほど通ります。

『真清探當證』によれば、弘計王(後の仁賢天皇)が馬で倭に向かうのに、妻の豊媛がすがりついて通ったのがこのあたりで、当時は木曽川の分流が多く、島の形をしていたので島村と名づけた、とあります。

この橋は島橋という名です。今の橋は古い橋だとは思えませんが、周囲には歴史を感じさせる雰囲気があります。ルートは右折し、この橋を渡ります。

島から於保を経て氏永へ

コースの地図

Google Map を利用しておりますので参考にお使いください。