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いちのみやん一宮ウォーキング

彦田公園から子生和橋

コース案内

彦田公園は大和町花池、JR東海道本線沿いにある大きな都市公園です。毎日子どもたちの歓声が絶えない人気の公園です。カシノキが多く、毎年秋になると幼稚園児が集団でドングリ拾いに来る光景も見られます。

この辺りは、かつては一面の田園地帯でしたが、今は道路も整備され、新しい住宅地として発展を遂げています。近所には飲食店や銀行なども数多くありますが、ここから一挙に(コース周辺にお住まいの皆様には失礼かも知れませんが)タイムスリップするのが今回のコースです。

彦田公園の南側の出口から大垣共立銀行の前の道を進みます。大垣共立銀行の向かい側にある磯料理砺波というお店は食事もできますし、お酒も飲めますが、お値段も手ごろで、子ども連れにも人気です。

交通量の多い道路は、押しボタン式の信号で渡り、回転寿司屋の前を南へ直進します。

行く先右手には神社の木立が見えています。地名は権現浦。この神社には社名が見当たりませんでした。

すぐに斜めに横切る道に出ますが、この道を渡りさらに南に進みます。ここら辺りからが古い集落の道になります。進むといくつかの辻がありますが、南方向へと進みます。細い道は右に左にと折れ曲がりますが、日吉神社の境内に突き当たります。

日吉神社にはなぜか狛犬が二対、つまり四体もあります。なぜでしょうねえ。鎌倉街道はこの辺りを通っていたと考えられています。

日吉神社に祭られているのは、一般的には大山咋神だそうですが、この名前は『真清探當證』には、一宮に隠遁していた皇子に学問を教える役目で登場しています。日吉神社の少し東には皇子が暮らしたといわれる千間殿の場所とされる浅間神社がありますから、何か関係があるのでしょうか。

日吉神社の西側の道をそのまま南下します。この辺りは地蔵恵という地名です。鎌倉街道と関係がある地名という説もあるようです。

しばらく歩くと、多加木北交差点から妙興寺の方へと続く交通量の多い道に出ます。ここを左折し、すぐ次の右に入る細い道を南に入ります。非常に細い道ですから通り過ぎないようにしましょう。

細い道を南下すると、すぐにこんもりとした緑のトンネルのように見える風景に出会います。この緑は三十八所社の杜です。

三十八所社というのは、どうやら「多くの神々を祀る神社」という意味のようですが、どのような由緒があるのかはわかりません。どのような神様が祭られているかも書かれていませんでした。

三十八所社の横を通り抜けて数ブロック進むと、大きめの道に出ます。辺りは新興の住宅街で、建売住宅のような一戸建てなどが立ち並んでいます。この道路を左に折れ、すぐに右手に墓場が見えてくるので、墓場の間を斜めに進む道に入ります。

この、現代の区画ではありえないカーブを描く墓場の道が、鎌倉街道の名残ではないかと言われているようです。奥に見えるのは名神高速道路ですが、高速道路ができる以前は、この細い道はさらに南に向かって続いていたとか。

墓場を抜けるとすぐに高速道路の下を潜る通路がありますからそこを抜け、左に折れます。しばらく高速道路に沿って歩くと、JR東海道本線に平行する、一宮総合卸売市場に行く道に出ます。ここを右折し、歩道を歩きます。程なく、右手に一宮総合卸売市場の入り口があります。

道は大江川を渡ります。コースは大江川の南側に沿って進みますが、その前に、橋の反対側、東側を見てください。そこに石碑があります。

この石碑には「河曲橋」とあり、地図上の子生和橋とは字が異なっています。書いてある文は以下です。

鵜沼川の分流に架けた鎌倉街道の橋であった。源平盛衰記に源行家が下津に陣し此処で決戦したと伝え、張州府志には尾張藩主徳川義直がこの橋を架けたという。

ちなみに源行家は源義朝の弟で、頼朝の叔父にあたる、平安末期の武将だそうです。でも、どうやら連戦連敗。最期は源義経に味方して、頼朝軍に討ち取られたようです。

下津は南東方向にある、稲沢市が丹陽町と隣接する場所で、かつては下津城(おりづじょう)という城があった場所です。

鵜沼川というのは木曽川の古い名前のようです。流大江川が掘られたのは1001年で、大江川自体が、木曽川の支流を整備して掘られたという説がありますから、鵜沼川の分流というのは大江川のことでしょうか。

子生和橋から子生和を経て島橋へ

コースの地図

Google Map を利用しておりますので参考にお使いください。



大きな地図で見る(印刷する場合はこちらをご利用ください)

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