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妙興寺

妙興寺は正式名称を長嶋山妙興報恩禅寺といい、臨済宗妙心寺派の寺です。1348年に尾張国中島城主中島蔵人の次男滅宗宗興によって創建され、1353年には足利義詮、1356年には当時の後光厳天皇の勅願寺となった、由緒ある寺です。山号の報恩は母の恩に報いる、という意味で名付けられたそうです。

明治時代の火事で伽藍の大部分は焼け、創建当時ら残る建物は、国指定の重要文化財になっている勅使門だけだそうです。その他の古い建物としては、江戸時代に名古屋城から移築されたという総門、江戸時代に建てられた鐘楼などがあります。

このほかにも仏像や重要文化財に指定されている文章、絵画などの文化財は数多くあるようですが、公開されていません。境内全域は愛知県の県指定史跡になっています。

現在の妙興寺が創建される以前、奈良時代の頃に現在妙興寺廃寺と称される寺院が建てられたようですが、出土品の瓦から類推されるのみで、遺構などは見つかっておらず、現在の妙興寺との関係もわかっていないようです。

また妙興寺は、妙興寺そばや、新陰流開祖上泉信綱が修行したので、新陰流無刀取りの発祥の地とされています。

妙興寺は、鎌倉や、奈良・京都にあっても不思議ではない大きなお寺です。境内も広いですから、ゆっくり歩きましょう。

下の写真は、一宮市博物館に飾られている、かつての妙興寺周辺の模型です。上の写真の入り口は裏口、多分赤い丸印をつけたあたりかと思います。

この後、妙興寺の境内に入り(模型だと赤丸から上へ)、鐘楼・本坊(一番大きな建物)から、仏殿、重層門、勅使門、総門と紹介しましょう。

下の写真左側が妙興寺の鐘楼(愛知県指定有形文化財)です。鼓楼のようなデザインですが、鐘楼です。本坊の方から雲水さんが出てきましたが、妙興寺は禅寺で、実際に今でも修行が行われています。雲水さんが出てきた門の中は通常非公開で、中には一宮市の文化財に指定されている室町時代の木像(木造滅宗宗興坐像)もありますが、写真は公開しないでほしい、と言われておりますので掲載できません。

付近の森はかなり深く、幽玄な雰囲気を漂わせています。私は子どもの頃、時々この森にカブトムシやクワガタムシを探しに来ました。

木々が生い茂り、とても一宮辺りの風景とは思えません。縄文時代の一宮周辺の原生林は、こんな感じだったのでしょうか。奥に見えるのが仏殿です。仏殿の天井には龍の絵が描かれていますが、見た人の多くはちょっと残念な絵だと思うことでしょう。ご自分で確認して見てください。

次が重層門。重層門というのは、2階部分にも屋根を持つ楼門のことだそうです。楼門というのは、お寺の入り口で仁王様がいる門のことです。妙興寺に仁王像はありませんが。でも楼門にしては随分大きいですね。

下の写真が重要文化財の、妙興寺勅使門。勅使門は天皇や天皇の使者をお迎えする時にのみ使われた門で、実質は開かずの扉です。勅使門があるということは、それだけ格式の高い寺であったことを示しています。勅使門の詳細はこちら。妙興寺は過去に火災で焼けているために、創建当時の建物は勅使門のみ。他に重文クラスの文化財は残念ながら残っていません。勅使門には1353年後光厳天皇より賜った勅額『国中無双禅刹』が掛かっています。

妙興寺境内には耕雲院、種玉院、太陽院、清寥院、来薫院の5つの塔頭(たっちゅう)があります。境内から妙興寺の集落に抜ける途中には清寥院があります。清寥院への道は、重層門の東側にあります。そこに石柱が立っていますから、見落とすことはないと思います。

清寥院にも文化財に指定されている木像があり、清寥院の前に案内板が立てられていますが、やはり公開はされていない様子です。

妙興寺のデータ

妙興寺の基本情報

住所 愛知県一宮市大和町妙興寺2438
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備考

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