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馬見塚遺跡

馬見塚遺跡は縄文後期から弥生、古墳時代に至る複合遺跡だそうです。遺跡の規模からしたら、他の大遺跡に比べられるようなものではありませんが、木曽川の氾濫原というこのような場所から遺跡が見つかるなど、以前の定説では考えられなかったので、発見された時には、ちょっとしたセンセーションを巻き起こしたようです。

昭和48年の調査では、東西400m、南北300の範囲の縄文、弥生、古墳時代にまたがる大きな集落遺跡だと確認されました。馬見塚遺跡に関する調査資料はこちら(PDF)にあります。

馬見塚の由来は、『真清探當證』によれば、西暦472年、名馬を皇太馬見塚遺跡子に献上する時に、馬を見聞された場所であったとされています。なお、馬見塚遺跡自体はこの伝説とは何の関係もないようです。

現地には馬見塚遺跡を示す石柱が立ち、案内板があります。

1970年頃に馬見塚遺跡の見学に訪れたことがありましたが、当時は田んぼの中に石柱が立っていた記憶があります。そして出土品は、森に囲まれた小さな小屋の中に陳列されていたのですが、近くにある六所神社辺りだったかもしれません。

今馬見塚遺跡を訪れても、現地にはこの石柱しかなく、しかもこの辺りも開発が進んできているので、歴史を感じさせる神秘さは微塵もありません。「へえ、ここが遺跡か」と確認するためだけに訪れるようなものです。

なお馬見塚遺跡の北東3キロの千秋町には、縄文中期の佐野遺跡があり、この周辺一帯において縄文時代から人の生活が営まれていたことがわかります。

現在は馬見塚遺跡の出土品は妙興寺にある一宮市博物館で常設展示されています。下の写真が後日一宮博物館で撮影してきた、馬見塚遺跡のコーナーです。馬見塚遺跡に興味のある方は、一宮博物館を訪問する方がずっと面白いと思います。

馬見塚遺跡

馬見塚遺跡のデータ

馬見塚遺跡の基本情報

住所 一宮市馬見塚東見六48
地図  
備考
  • 馬見塚遺跡の出土品は一宮市博物館で展示されています。