油田遺跡(あぶらでん)
旧国道22号線、通称岐阜街道が名神高速道路と交差する南西側に油田公園という小さな公園があります。油田の地名の由来にもいくつかあります。この土地の年貢を妙興寺の灯明用油にしていた、というのが定説のようですが、『真清探當證』には別の話が書かれているそうです。以下に面白いブログから引用します。
『真清探當證』によれば、「仁賢天皇が紀元498年崩御。この時、遺言に基づき妙興寺字油田に同年9つき1日に、埋棺したといい、〔青桃丘松降御陵墓の名称今なお存せり〕と記されている」この御陵へ皇后春日媛が毎日献灯したため、〔のち御料地を油田と名称せり〕とも書かれているとの事です。
さてここに青桃丘松降御陵と書かれているのが、油田遺跡だそうです。ちなみにこの塚は、まだ発掘されていないそうです。
一般的には、真清田大神が降臨したと伝えられる場所です。真清田大神が降臨する、というのはよく意味がわかりませんし、真清田ゆかりの地であるのに鳥居や社もないのも不思議です。どうやら真清田神社の側には、この地を降臨の場所とする云われは伝わっていないのだそうです。
一宮市博物館の館長さんにお会いする機会があったので「油田遺跡の塚は何ですか?」と聞いたら、「たぶん古墳だと思います。」とのことでした。