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牛野神明社と照手姫袖掛け松、鎌倉街道・岐阜街道

旧国道22号線、通称岐阜街道の牛野交差点の少し北、森瀬内科やアルビノールがある辺りの東側に、現在の岐阜街道と並行する細い路地があります。そこにある小さなお社が牛野神明社です。どこにでもありそうなちっぽけなお社で、無論社務所も何もありません。

牛野は平安の頃から牛野郷として記録に見られ、鎌倉時代の記録では市場などもあり繁栄した宿(牛野宿)で、当時は京と鎌倉とを結ぶ、鎌倉街道が神明社のあたりを通っていました。神社脇のこの道が当時の鎌倉街道の名残と考えられています。ひょっとすると源頼朝や源義経らも軍勢をひきつれてここを通ったのかもしれません。またこの細い道は、旧国道22号線ができるまでは、名古屋と岐阜とを結ぶ岐阜街道の本道で、別名鮎街道とも呼ばれていた道です。

この牛野神明社の境内にあるのが照手姫袖掛け松です。

室町時代中頃の、人形浄瑠璃や歌舞伎などで名高い照手姫が常陸(茨城県)の城主、小栗判官助重と鎌倉街道を通って京へ向かう途中、ここで小袖を掛けて休息したと伝えられています。このため、鎌倉街道のことを小栗街道と呼ぶこともあり、鎌倉街道が通っていた各地に小栗という地名も残っています。

神明社にあるほとんどの施設は大正から昭和初期のものですが、鳥居近くにある灯篭の一本、上の写真の左側のものには嘉永2年(1849年)と記されています。

牛野神明社のデータ

牛野神明社の基本情報

住所 愛知県一宮市牛野通2
地図  
備考